飯田社長のご経歴を教えてください。
一浪して大学に入ったんですが、2年留年してます(笑)
大学に受かったは良いものの、あまり行ってなくて…。
要するにフラフラしていたんですが、2回留年が決定したときに、また同じことを繰り返すのは嫌だなと思ったんで、留学してしまおうと思って、留学しました。
そうしたら、留学してたから留年したって言えるじゃないですか(笑)
それはそうですけど、あまり聞いたことのない留学理由ですね(笑)
留学してたから留年したんだって、大半の人が思ってくれるかなと思ったんですよ(笑)
なので、特に理由もなく、アメリカのロサンゼルスへ留学しました。
当時ネット上にホストファミリーの候補が挙がっていたので、そこにメールで行きますと言って。
英語は堪能だったんですか?
いや、全然(笑)
ちなみにアシスタントの下西は英語堪能です。
彼女は本当に休学して留学していますから。
私と全然違いますね(笑)
英語も全然できないですけど、まあ暖かそうやし、英語は嫌いではなかったので、自分の人生経験の一つとして行きたいなと思って、行ってきました。

当時、2001年9月11日に同時多発テロ事件が起こった直後だったんですよ。
翌月の10月に飛行機で行ったんですけど、飛行機もお客様が10人くらいしか乗っていなくて、もうガラガラで。
で、ロスについたらそれはもう想像以上のボディチェックでしたね。
そんな留学の始まりでしたが、結局半年間くらい留学して、日本に帰ってきました。
この留学期間でひとつ思ったのが、日本食を食べたいなと思ってお店を探していたら、ラーメン屋さんとか、お好み焼き屋さんとか、たこ焼き屋さんとか色々あったんですけど、どこもまずいんですよ。
カリフォルニアのロサンゼルス周辺っていうのは、色んな人種の方がいらっしゃるんですけど、お肉とかはそこそこ美味しいのに、なぜか日本食だけがめちゃくちゃ不味くて。
これ、将来こっちで日本食の商売をしたら売れるんじゃないかって若いながらも思ったんですよね。
ひとつはたこやきなやと思ったんで、日本に戻ってたこ焼き屋かお好み焼き屋をやりたいなって思ったんですよ。
日本で経験を積んで勉強してからアメリカに戻ろうと思ったんですが、一方では日本でどこかに就職もせなアカンのやろうなとも思っていたんですよね。
そんな中でたまたまご縁のあった人がラーメン屋をやってみないかと声をかけて下さったんです。
その人はラーメン屋をやってるわけではなく、色んな事業をしている人だったんですけど、ラーメン屋は儲かるという話を聞いて、じゃあやってみようかなという動機でラーメン屋を始めたのが社会人の始まりです。
その後2年間ラーメン屋をやってみたんですけど、結局店を潰してしまったんですよね。
なんの知識もない素人がお店を任されて経営していたわけですから、食材の管理とか、人の管理の仕方も分からない、そんな人間が店長業務をやるので、上手くいくわけがない。
たぶんどこの飲食でもある話だと思うんですけど、従業員にレジからお金を盗まれたりとか、そういうことが増えてくると、店内の治安が悪くなって人を疑わざるを得なくなってしまうし、そんなお店だったんで、お客様にサービスを提供するというような状態ではなかったということで、売り上げも上がらず、オーナーが閉店をご決断されたという感じです。
そのオーナーは、タイのバンコクでも大きなレストランを経営していたので、次はそっちで挑戦してみるか?というお話も頂いたんですけど、僕のやる気も下がっていたのと、ちょうどその頃に交通事故に遭ってしまって…。
ラーメン屋を閉業する間際、仕事の帰り道に疲れて路上で駐車して車内で仮眠していたら、後ろからものすごい勢いで追突されたんです。
車も僕も潰れるという大事故で、もう立ち仕事は出来ないとお医者さんに言われたんですよ。
なので、タイのレストランでの話もお断りさせていただくことにし、そのオーナーのもとを離れて、その辺りでどこかに再就職せなアカンなと考え始めたというのが、第1話です(笑)
長かったですか?(笑)
いえいえ、ありがとうございます(笑) 続きが気になるので、引き続き第2話をお願いします(笑)

その後、たまたまコンビニで見つけた求人誌で、「社長100人と友達になれる仕事」みたいな求人記事を見つけたんです。
僕はやっぱり社長をやりたいというのは常に思っていたんですけど、一度ラーメン屋を失敗しているし、どうやったら良い社長になれるのかなとも思っていたので、まずはたくさん社長に会わないとアカンなと思ったんですよね。
そんな中この求人記事を見つけたので、すぐに会社に電話したんですが、これがコンビニにはあるまじき、掲載期限の切れた古い雑求人記事やったんですよ。
先方の担当者からも、「応募締切が過ぎています。」と言われたんですが、何とかならないかお願いすると、一応履歴書を送って下さいという流れになったんですよね。
その会社というのがリクルートという会社で、その後はたまたま面接していただけることになったんですが、「お前みたいな奴はどこも採用してくれないよ。」って言われてました(笑)
めちゃくちゃ上からですね(笑)
正直めちゃくちゃ腹立ちましたよ(笑)
でも結局採用していただいて、そこからリクルートで営業マンとして3年ほど働くことになったというのが、第2話です。
ありがとうございます。 そのリクルートを経て、今に至るんですか?
そのリクルート時代、当時のお客様だったんですが、1人すばらしい社長に出会ったんです。
僕の夢を聞いてくれて、夢は社長になることです!と答えたら、そこから話が膨らんで、その時考えていた、「今は採用のお手伝いをさせていただいているけど、僕は採用だけじゃなくて、やっぱり企業の受け入れ体制をちゃんとしないと、優秀な人が入っても活かされないじゃないですか。」という話を熱く語り、「企業側の受け入れ体制や人の育成にも特化した会社を作りたいんです。」とお伝えしたんですよね。
そうするとその社長が、「その会社いつやるの?」と聞いてきたので、「いつやるかはまだ決めていないんですけど…。」と答えたら、「今ちょうどそういう会社をやろうとしてるところやねん。俺が会社作るから、飯田さん、そこの会社の社長やってよ。」とおっしゃられて。
すごい話! そんなこと、本当にあるんですね!
それはもう…魅力的じゃないですか。
ただ、「最初から社長となると荷が重いと思うから、最初は営業として入ってくれ。」と言われ、まずは営業としてその株式会社ソリューションという会社に入社したのが2007年の話です。
結果的にはその会社で人材の育成や採用、組織のコンサルティング事業等をやらせてもらって、実際に社長になったのは2015年ですね。
なので、社長になるまでに8年かかりました。
やっと社長になれたのは良かったんですけど、やっぱり資本がね、僕自身の資本ではなく他人の資本なので、これを買い取ってオーナーになりたいなと思って、実際に社長に相談したんですよね。
そうすると、株を全部渡すことになるから、それは難しいという話になって、僕ももちろんその気持ちも分かるんで、「そりゃそうですよね。」と。
「じゃあ、やっと社長になれたけど、辞めますわ」と(笑)
当時20数名いた社員たちも、もうパニックですよ、「どういうことや!」って(笑)
「40歳にもなって、他人のお金で経営をやるっていうのは俺の中ではないんよ。」という話を社員たちにはさせてもらって、退職することとなりました。
これが第3話です。
結果的には2017年の3月に株式会社ソリューションを辞めさせてもらって、今のプロパトの前身となる、「プロフェッショナルパートナーズ」という屋号で個人事業をスタートさせるというのが、第4話です。
そして第5話が、半年間個人事業をやって、もう法人化しても良いなと思い、2017年の9月1日に、株式会社プロフェッショナルパートナーズにしようかと思ったんですけど、個人事業を半年やった学びのひとつに、領収書にプロフェッショナルパートナーズと書くのは、書く人がすごく面倒くさいと分かったんで、株式会社プロパトという名称で設立しました。
以上で完結、現在に至ります!
ありがとうございます。 それにしても、その元お客様という社長さん、すごい方ですね!
めちゃくちゃ顔を合わせていたわけではないんですけど、年に数回、必ず大型の発注をくれていた方で。
それはもちろんご自身の会社のためにっていうのもあるんですけど、僕の営業成績のためにというのも少なからずあったのではないかと思います。

…神様みたいな人ですね(笑)
そうなんです(笑)
僕の経営者としてのノウハウみたいなものは、もうその社長から9割くらい学ばせて頂いていますね。
まさに恩師で、本当に素敵な社長ですよ。
ありがとうございます。では次に、御社の社員さんが毎日快適に働けるよう、飯田社長が何か心がけていることはありますか?
色々ありますけれども、最終的にはやっぱり働きやすさと働きがいの両方がないとダメだと思うんですよ。
それを両立させるにはどうしたら良いかというのは、常に考えています。
例えば働きやすさだけ追求したとしたら、ずっとリモートワークで、仕事の内容も好きなようにやってください、しんどかったら寝てください、何時にお仕事を終えても大丈夫ですみたいなことを言っていれば、働きやすいかもしれないですけど、働きがいはないじゃないですか。
基本的にはうちの下西も、基本的に普段はリモートワークなんですが、出張に行くときは一緒に来てもらって、アシスタントをしてもらっているんですね。
自分のペースで仕事をしてほしいという思いもあるので、まずは自分でやることを決めてもらって、さらに追加で出来そうやなと僕が判断した場合には、追加で依頼をするみたいなやり方で今は頑張ってもらっています。
毎日満員電車に揺られて出社するのもしんどいと思いますし、出張もかなり体力を使いますからね。
自宅でのリモートワーク、出張への同行など、そこはバランスを考えています。
快適に働いてもらうために心がけていることは、そんなところでしょうか。
ありがとうございます。では次に、飯田社長が大切にされているお言葉や、尊敬されている方はいらっしゃいますか?
大切にしていることでいえば、このプロパトという会社のIsmという、創業精神ということで定義づけているものがあって、それは、「らしく 楽しく おもしろく」という言葉なんですが、これを一番大切にしていますね。
らしくいれてない大人が多い社会なので、もっと自然体の状態で、そもそも仕事はスタートしたいよねっていう気持ちが、すごく強いですね。
一見すると「楽して良いよ。」みたいな言葉にも見えますけど、そうじゃなくて、自然体でまずスタートしようぜ、という話です。
自然体でいれば、強みも弱みもあるじゃないですか。
強みは磨いたらいいし、弱みとは向き合ったらいいと思うんですけど、まず自然体でいれないと、そもそもの強みも見えないし、自分の弱みばかり攻撃されても心が病んじゃうじゃないですか。
そういう大人が増えるから、働きたいと思える若手が減ると思うんで、やっぱり一番大切にしていきたい言葉ですね。
尊敬している人はいっぱいいますよ。
イチロー選手も好きですし、三浦知良選手も好きですね。
あのストイックさ、大好きですね!
一方で、高田純次さんとか、所ジョージさんとか。
僕の中で、彼らのようなストイック尊敬と自然体尊敬のようなものがあって、結局トータルすると、会ったことはないですが、きっとこんな人なんやろうなと思うのは、坂本龍馬です。
ストイックでもあるし、たぶん結構プラプラもしてたと思うので。
お話を聞かせて頂いている限り、高田純次さんと所ジョージさんを尊敬しているというのが、個人的にはものすごくしっくりきます(笑)
本当ですか!それは嬉しいなぁ!
ありがとうございます。では次のご質問ですが、これは個人事業主時代でも構いませんし、プロパトを起ち上げてからでも構わないのですが、一番困難だった壁や苦労されたことはありますか?

何でしょうね…。苦労したことはあまりないのかもしれないですね。
やりたいことをひとりで勝手にやってるだけなので、そういう意味では特に苦労したという感覚はないですね。
ポイントがあるとしたら、やはり下西が入社してきた時ですかね。
やっぱり色々考えたというか、自分がイメージしていたのは、会社を大きくするにはまず30代半ばくらいの、僕の考えに賛同してくれる幹部を採用しようと思っていたんですね。
一緒に事業戦略を立てて、そこからそういう何名かを集めてから、新卒採用をしようと思っていたので。
そんな中、留学斡旋をしている知り合いから「良い子がいる。」と紹介してもらったのが新卒の下西だったんです。
その時、自分の中で、幹部採用からじゃないパターンで会社を作り上げるというやり方を、自分がチャレンジしないといけないと思ったんですよ。
これは難易度が高いことだということは分かっていたんですが、神様からの贈り物として難しいことにチャレンジしてみようと。
なので、下西の採用のときには、苦労とはまた違いますが、自分の中ですごく考えました。
ありがとうございます。これも素敵なご縁ですし、素晴らしいご決断だと思います!
では次が最後のご質問になりますが、最近飯田社長がご購入された、一番高いものは何ですか?
何でしょうね。
高くて価値のある買い物でいうと、下西さんかな(笑)
プライベートであれば、もうすぐ高校3年生の長男がいるんですが、野球をしていて、最近買ったグローブが高かったですね。
刺繍も入れたりしたんで、8万くらいしたかな?
あとは、オフィスに置いている寝袋くらいですね(笑)
自宅は近いんですけど、ひとりで色々考えたいときもあるじゃないですか。
そういう時はオフィスで、夜中に料理してお酒を飲んで、寝袋で寝るみたいな(笑)
本当それくらいですね。
あまり高い物は買わないんです。 面白いネタがなくてすみません(笑)
いえいえ、とんでもございません(笑) 飯田社長らしいご回答で、楽しませていただきました!
改めまして、本日はお忙しい中、為になるお話、面白いお話をたくさんありがとうございました。 今後ともよろしくお願いいたします!
こちらこそ、わざわざご足労頂きありがとうございました。
今後ともよろしくお願い致します。